荊公(けいこう)の字(じ)を解(と)くが如(ごと)し

 自分勝手な解釈をくだすことのたとえです。

 宗の荊公は文字を解くことが好きで,人と問答をしては楽しんでいた。あるとき,蘇東坡が荊公に,「波」という字の意味を尋ねると,荊公は「水の皮である。」と答えた。すると蘇東坡は,「では滑は水の骨か。」とやり返したという故事からできました。